「急遽」というときは、たいてい「良くないこと」が起こったときで、
今回も例外ではありません。私のいとこ(男性)が、
先週の17日に息を引き取りました。
今月でようやく30歳…という若さでした。
25歳のときに「脂肪の中にできる癌みたいなもの」…
「脂肪肉腫」というのかな…、
その病に侵されました。
風邪で病院に行き、何の気なしに
「脚に塊のような腫れがあるんですよねー」と言って見せたら、
お医者さんはあわてて精密検査をするよう勧め、
結局それが悪性の腫瘍だったというスタートでした。
小さいころから体格が良く、ずっと野球をやっており、
大学ではその身体を見込まれ、
アメリカンフットボール部に所属していました。
そんなスポーツマンの彼が、完治を目指し、
脚の後ろ半分を取るという大手術をしたのが2009年。
もちろん運動はできなくなったものの、
すっかり完治したと思われていました。
しかし、しばらくして腰に転移が見つかり、
福島や岡山で陽子線治療などを受ける、
つらい、つらい闘病生活を始めました。
とてもおとなしい子で、親子の関係もさっぱりしていました。
母親が「岡山に治療に行かんよーになったら、どうなるん?」と聞くと、
息子は「そりゃー、死ぬだけよ」とあっさり答えるような感じ。
しかもその会話をあっけらかんと私に話す、いとこの母。
もちろんそれは、気丈にふるまっていたからこそ。
最後はホスピスに入ったいとこ。
ご両親は最後の最後まで諦めず、丸山ワクチンを取りに
東京まで往復をしたほどだったと言います。
丸山ワクチンの是非はあるようですが、
「できることなら何でもしてやりたい」という親心です。
アメリカまで治療に行くことも考えていたそうです。
いとこは、望んで、望んでできた子でした。
ご両親は結婚後しばらく子宝に恵まれず、不妊治療を受けていました。
それがやっとできて、私にとっては12歳も違ういとこになりました。
家に遊びに来てくれた時は、
学校で「今日、赤ちゃんがいるんだよー♪」と自慢して、
走って帰ったのを覚えています。
お世話がしたくて、したくて、おむつ替えをしたら、
おしっこがピューーーッと飛んでビックリしたっけ。
そのいとこが病に侵されたと聞いたときは、
「もうダメなのかもしれない」と、胸騒ぎが続く日々でした。
でも4年という闘病生活が続き、
いつしか、「きっと治るんだろう」と
私の気持ちに余裕ができていたのは確かです。
その彼がホスピスに入り、死を待っているのだと知ると、
いてもたってもいられない気持ちになりました。
特に三冬の笑顔を見ていると、涙が止まりませんでした。
いとこもこんな風に愛されて育ったんですよね。
今なら痛いほどわかるんです。
ご両親がどんな想いで息子を育ててきたか。
そんな愛情をよそに、子どもというものは、特に息子というものは、
ぶっきらぼうを貫くんですね。
自分が病気になったこと、どんな感情で受け止めているのか、
よくわからないほどあっさりしていたいとこ。
でもホスピスに入ってからのある晩、
「いやだ、いやだ! 死ぬのは怖い! 死にたくないっ!」
と、ひとしきり泣いたと、いとこのお母さんが教えてくれました。
「でもね、わんわん泣いたらスッキリしたみたいで、
それからは一回も言わなかったよ」
どれだけ怖かったか。
またそれを息子の口から聞く母親は、
どれだけ胸が痛かったか。
生きていたいのに、死を選択しなければならないって、
本当に、本当に、そのつらさは想像できないほどです。
悲しい。無念。
今はただ、安らかに眠ってほしい…、それしか言えません。
生まれてきてくれてありがとう。よく頑張ったね、Y。

バイクタウンプラス店主より